BUHIXの日記

サッカーやJリーグについて書いたり、読書や旅行について書いたり。

【メモ】Jリーグが追求する「地域密着型クラブ経営」が未来にもたらすもの

 

 タイトルの通りです。大山高さんの『Jリーグが追求する「地域密着型クラブ経営」が未来にもたらすもの』を読んで感じたことを書き留めています(具体的には第2章6節)。あくまでメモです。同書の内容全体に対する感想ではありません。

 

サッカー選手の発祥

 現在のプロサッカー選手の源流は、19〜20世紀のイングランドにある。当時のクラブは街や地区・教会・企業・工場・パブ等を単位に構成されていた。クラブ間で対抗戦が行われ、その競争は次第に激しさを増していった。これには労働者のガス抜きという意味合いもあったという。

 やがて、他クラブに勝つために有力選手を競技に専念させる必要が出てきた。しかし有力選手といえども労働者階級である。仕事を辞めてサッカーだけしていては食べていけなくなる。そこでクラブの仲間たちがお金をカンパして有力選手の生活を支援したり、働いていた時と同じ給料を雇用者側が保障したりした。これがプロ選手の始まりである。

 

ラララ俺らは歌う〜♪*1

 ここで大事なのは「貧しい者たちが助け合っていた」という美談的要素ではなく(それもあるが)、「選手は生活を保障される代わりに勝利を期待された」ということだ。端的に言えば「俺たちが代わりに働いてやるけど、他のクラブに負けたら承知しねーぞ」と思われていたのだ。

 この構造はJリーグにおいても基本的には変わらないのではないだろうか。時代の違い、洋の東西の違い、予算規模の違い等々によって多少の差異はあれど、地元のサッカークラブは常に「俺たちのもの」「俺たちの代表」なのだ。「スターが別世界でやっている戦いを遠くから見るもの」ではない。

 住民はクラブとの間に非常に強い感情的繋がりを持っているし、クラブが危機になれば身銭を切って助ける。試合が始まれば我を忘れて応援する。そして、どこにも負けてほしくはないと思っている。相手がどんなに強かろうと、どんなに歴史あるクラブだろうと、どんなに潤沢な資金を持っていようと、打ち勝ってほしい。口では「今日の相手は強いからな。3点差までなら大健闘かな」とか言っていても、心の底ではもしかしたら勝てるんじゃないかな。だって俺たちのクラブなんだからという思いを決して捨てていないのだ。その姿がたとえ傍目には贔屓の引き倒しに見えようとも、彼らは——私も含まれているのだから「我らは」と言った方がいいのだろうか——応援し続ける……。 

 

【注】

 上に書いたようなことは、あくまで私の思いつき、走り書きです。私が感情的な人間だからそんなことが頭に浮かんできただけであって、一般論でも何でもありません。

 ファンの形、サポーターの形正解はありません。ファンの形が多様であればあるほど、そのジャンルの裾野は広く、文化としてより成熟しているのだと言えるでしょう。

 

【関連記事】

 

*1:これはFC岐阜のチャントの一節。