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大木サッカーとは「パスサッカー」なのか

FC岐阜 サッカー

 今季からFC岐阜の監督に就任した大木武「敢えてピッチを狭く使う」独特の戦術で知られている。いわゆるクローズ戦法である
その要点・意図は以下のようなものだ(と言われている)。

  1. 選手間の距離を短く保つ
  2. ボールを保持している時は速いテンポでショートパスを繋いで攻める
  3. ボールを奪われた時は密集を活かしてすぐにボールを奪い返す

 よく2.の部分をもって「大木サッカーはパスサッカー」と言われるが、私は少し違う印象を持っている。大事なのは3.であり、大木流の本質はいわゆる「ボールを大事にする」「ポゼッションする」ことではなく、「ボールを取られたらすぐ取り返す」ことではないだろうか。大木監督が折に触れて「攻守の切り替えを早くしろ」と強調するのも、「ボールの迅速な再奪取」を重視していることの裏づけであるはずだ。
 そもそも大木流は「パスサッカー」と言うほど綺麗ではない。少し前のバルセロナのようなサッカーをするために必要なものは各選手の適切な距離感やポジショニングだと思うが、大木流はその部分が異質すぎる。選手間の距離が普通のチームに比べて近すぎるし、選手たちは良く言えば勤勉で運動量豊富、悪く言えば動き回りすぎてポジショニングを崩している。

 端的に言えば「ぐちゃぐちゃになるサッカー」だ。もっと正確に言うなら「ぐちゃぐちゃ状態に強みを見出そうとするサッカー」だろうか。少なくとも私の考える「綺麗なサッカー」からはかけ離れている。そして、私にとって「パスサッカー」は「綺麗なサッカー」に包含される概念なので、大木サッカーは「パスサッカー」ではないということになる。強いて言うならば、オシム元日本代表監督が流行らせた「ボールも人も動くサッカー」という表現の方がより妥当だろう。
 ただ、大木流が「見ていてつまらないサッカー」とは思わない。全く逆だ。目まぐるしく攻守が切り替わり、密集からのショートパスで果敢に敵陣を崩そうとするサッカーは、あまりにも面白い。むしろ「面白いサッカー」を追求しすぎていて勝ちに徹していないのではないか、と心配になるほどだ。

 上に「大木流は綺麗ではない」と書いたが、綺麗なサッカーと「見ていて面白いサッカー」は必ずしも重ならないのだ。個人的には、クローズ戦法にはロマンがあると思う。キック力で劣る者がサッカーというゲームに勝つにはどうすればいいか。ダッシュ力で劣る者は、体格で劣る者はどうすればいいか。日本人に合ったサッカーってどういうサッカーだろう。……そんな考えを突き詰めた末に生まれた「個性」がある。「スタイル」がある。

 誰が見ても分かる「スタイル」を持った監督が、Jリーグに何人いるだろうか。サッカーライターはよく「選手は監督の思想をピッチ上に表現する」なんて言うが、私のような素人が見ても違いが分かるほどの「思想」の持ち主が何人いるだろうか。私が知る限り、大木監督はその貴重な「思想家」の一人だ。彼の指導者人生が続く限り、理想を追求してもらいたい。ずっと我が道を行ってもらいたい。本気でそう思っている。

(この記事は「今季の注目選手4」の前振りとして書き始めたものですが、長くなりすぎたため独立させました。「今季の注目選手4」は近日アップしたいと思います)